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『源氏物語』に日本の「美感」を見出す 東京都美術館で同時開催「美をつむぐ源氏物語」&「源氏物語と江戸文化」

東京都美術館「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しなー」を鑑賞するサム・ホールデンさん

平安時代中期に紫式部によって書かれた『源氏物語』。日本を代表する古典文学として、いまや30か国以上に翻訳され、千年の時を超えて世界中の人々を魅了してきました。東京都美術館では、その『源氏物語』をテーマにしたふたつの展覧会が、2023年1月6日まで同時開催されています。ひとつは、公募展等で活躍する現代作家を紹介する「上野アーティストプロジェクト」の第6弾「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」、もうひとつは、江戸文化における『源氏物語』の多様な広がりを紹介するコレクション展「源氏物語と江戸文化」です。

今回は、世界から見た『源氏物語』の魅力に迫るべく、アメリカ出身で日本在住のサム・ホールデンさんに、これらの展覧会を取材リポートしていただきます。

『源氏物語』は“日本文化の美しい原風景”の一つ

およそ千年の間、どの時代においても人々を魅了し続けてきた『源氏物語』。その間に様々なジャンルの芸術家に作品のインスピレーションも与えてきました。東京都美術館で開催中の2つの展覧会では、この日本の美の源泉から生まれた江戸時代と現代の芸術作品が幅広く取り上げられています。

「源氏物語と江戸文化」は、東京都江戸東京博物館のコレクションの中から、印刷技術の進歩にともない『源氏物語』が大衆的な人気を得ていった江戸時代の作品や資料を展示。「美をつむぐ源氏物語」では、7名の現代のアーティストが『源氏物語』をテーマに制作した書や絵画、ガラス工芸品、着物などの独創的な作品が紹介されています。

青木寿恵《パリの若紫》制作年不詳 寿恵更紗ミュージアム蔵
青木寿恵《パリの若紫》制作年不詳 寿恵更紗ミュージアム蔵

海外で育ち、子どもの頃に日本に関心を持ち始めた人間として、私は『源氏物語』の存在を、文学以前に日本独特の美感の象徴として意識しました。《源氏物語絵巻》に表される人物、和服、建築、鮮やかな色などが、私にとって日本文化の美しい原風景の一つになっています。その芸術を生み出したのが平安時代に書かれ、そして日本文化の名作として世界中の人々に親しまれながら世界で「最も古い小説」とも評される物語であることは、しばらく後になってから知りました。

「美をつむぐ源氏物語」で展示されている青木寿恵の遊び心溢れる《パリの若紫》の絵画の中で、エッフェル塔を見つめる若紫の姿を見ると、現代においても『源氏物語』が日本を超えて人の心を動かし、世界中から日本の美の象徴として見つめ返されていることを示唆しているように感じます。

サム・ホールデンさんは、アメリカ・コロラド州出身。2014年に来日し、東京大学大学院で都市社会学の修士号を取得。さまざまな分野の翻訳の仕事をこなす一方、古民家や銭湯の再生プロジェクトなどの活動も行っている。
江戸時代における『源氏物語』の多様な広がりを紹介するコレクション展「源氏物語と江戸文化」

ふたつの展覧会のうち、コレクション展「源氏物語と江戸文化」では、『源氏物語』が国内外に知れ渡るようになった歴史をたどることができます。展示されている資料や作品は2025年度(予定)まで休館中の東京都江戸東京博物館が所蔵するものが中心となっています。

狩野惟信・栄信/画《十二ヶ月月次風俗図 》(右から「子の日小松引き 正月」「花の宴 二月」「早苗に蛙 三月」「水辺田舎 四月」「深山時鳥 五月」「常夏 六月」) 江戸時代 19世紀  東京都江戸東京博物館蔵(展示期間:11月19日~12月18日)

11世紀に書かれた『源氏物語』は、江戸時代においても王朝文化の象徴的な作品と考えられていました。徳川御三卿や幕臣らが詠んだ和歌をもとに描かれた狩野惟信と栄信の《十二ヶ月月次風俗図 》では、四季を表した風景画のなかにさまざまな『源氏物語』のモチーフが使われています。

そして、江戸時代における最も大きな変化は、活字や木版などの印刷技術が飛躍的に進化したことによって、それまで公家や武家など一部の上層階級を中心に楽しまれてきた『源氏物語』が大衆化していったことです。読みやすく工夫された書物や挿絵などにより、一般庶民からも幅広い人気を得ることになりました。

柳亭種彦/著、歌川国貞(初代)/画《偐紫田舎源氏》 文政12~天保13年(1829~1842)東京都江戸東京博物館蔵

この江戸の印刷文化が生み出した興味深い作品が、19世紀前半に発行された『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』です。『源氏物語』の大筋をもとにしながら、人物や時代設定を平安時代の朝廷から室町時代の幕府に置き換え、主人公の足利光氏による勧善懲悪の物語となるなど、江戸の人々に受け入れられるように工夫されています。歌川国貞(初代)による木版画の挿絵に出てくる人物の和服や髪型は、まるで江戸時代の流行に見え、当時大衆の人気を得た言わば「リメイク」の作品です。

豊原国周/画、森屋治兵衛/版《今様源氏紫緒蛍遊び》 文久元年(1861)4月 東京都江戸東京博物館蔵(展示期間:11月19日~12月18日)  足利光氏の特徴である切れ長の目と「海老茶筅髷」の髪型、「源氏香」模様の着物を着ていることから、「偐紫田舎源氏」をモデルに描かれたことがわかる。

たちまちベストセラーになった『偐紫田舎源氏』ですが、天保改革の出版統制に触れて発売禁止に。しかしその後も人気は衰えず、田舎源氏をモチーフにした錦絵(源氏絵)が多くの絵師たちによって描かれるようになります。

《長板中形型紙 源氏香に菊》明治~大正時代 20世紀 東京都江戸東京博物館蔵    5本の縦線に横線を組み合わせた「源氏香」の図は香りの違いを当てる香道から生まれ、香図全52種類に「桐壺」と「夢浮橋」を除く『源氏物語』の巻名がつけられている。

やがて、物語の一場面を意匠化した文様が、歌舞伎の衣裳や武家や町の女性のファッションを彩るようになり、「源氏香」や「御所車」に代表される源氏物語の文様やデザインを用いた着物や工芸品も多く制作されるようになりました。

7名の現代アーティストによる多様な表現を紹介「美をつむぐ源氏物語」

「源氏物語と江戸文化」と並んで開催されている「上野アーティストプロジェクト2022『美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―』」では、7名の現代アーティストの作品が展示されています。多様なジャンルで『源氏物語』のテキストや美をさまざまな形で参照した作品が、より鮮明な色で源氏物語の世界観を作り出しています。

鷹野理芳《垣間見 玉鬘「蛍の巻」より》 2022年 作家蔵 
鷹野理芳《生々流転Ⅱ~響~54帖・贈答歌「桐壺の巻から夢浮橋の巻まで」》2022年 作家蔵

展覧会は、原文と最も密接な関係にある書を取り上げる第一章「和歌をよむ」から始まります。『源氏物語』には795首の和歌が収録されており、紫式部は、登場人物それぞれについての書風(筆跡)に関する記述を数多く記しています。鷹野理芳と高木厚人による作品は、『源氏物語』で詠まれている和歌を独自の感性で解釈し、登場人物の人間性や心情を書で表現しています。

高木厚人《源氏贈答歌》2000年
高木厚人《源氏贈答歌》2000年

主に男女二人のやりとりからなる「贈答歌」を交互に書く高木の作品からは、平安時代の和歌がコミュニケーションの手段であり、非対面のコミュニケーションが増えたコロナ禍の現在に通ずる側面を感じます

第二章「王朝のみやび」の展示風景

第二章は「王朝のみやび」。

冒頭で紹介した《パリの若紫》を描いた、染色家・青木寿恵による絵画作品や源氏物語をモチーフにした二つの鮮やかな着物が展示されているほか、玉田恭子が見事なガラス作品で、時代を超えた『源氏物語』の美を物理的な形で表現しています。

玉田恭子《源氏封本抄「むらさきのゆかり」》2017年 作家蔵

虹のような色彩を放つ、開かれた本の形をした玉田のガラス作品からは、『紫式部日記』や『源氏物語』の和歌の言葉が浮かびます。文字は正面から見えず、斜めから眺めると千年前の言葉が現れ、ガラスの滑らかな曲線も中にある書を彷彿とさせます。

石踊達哉 展示風景

下の階の展示室に移動すると、石踊達哉による絵画が展示されています。石踊の作品は、金、朱、青の鮮やかな色彩の背景に、人物の顔や着物のひだ、すだれ、楽器、植物など象徴的なモチーフが大きなキャンバスの中に浮かび、私にとっては本展で最も純粋に『源氏物語』の美を体現する作品と感じました。

守屋多々志 展示風景

そして、守屋多々志、渡邊裕公という歴史を意識させる2名の作品を紹介する、第三章「歴史へのまなざし」で展覧会は終幕となります。

前田青邨に師事し数々の歴史画を描いたという守屋による扇画面の作品には『源氏物語』の重要な場面が、登場人物の愛情、痛み、葛藤をかすかな霧のような色で描かれており、時代の隔たりを超えた身近な物語として表現されています。

渡邊裕公 展示風景

渡邊は、7枚の大きなキャンバスに、様々な時代の有名な絵画や景色を背景にポーズをとる現代女性を描いています。

そのうちの一作《千年の恋~源氏物語~》では、現代的な女性が『源氏物語』の数々の絵の上に横たわり、遠くを見つめながら考え込んでいるように見えます。カラーボールペンで描かれた絵画は、前景と背景の歴史的な距離をより鮮明に強調させるシャープさがあり、現代の芸術作品と源氏物語の千年の隔たりを感じさせます。

渡邊裕公《千年の恋~源氏物語~》2016年

ふたつの展覧会「美をつむぐ源氏物語―めぐり逢ひける えには深しな―」と「源氏物語と江戸文化」は、子供の頃に私を日本に引き寄せた日本の美感を見事に表した芸術の体験になりました。

「美をつむぐ源氏物語」では子供のための「ジュニアガイド」が、「源氏物語と江戸文化」では日本語を学ぶ外国人のための「やさしい日本語」のガイドブックが用意されています。「源氏物語と江戸文化」展は、途中一部展示替えがあるのでご注意ください。展示期間はどちらも2023年1月6日までとなっています。

取材・文:サム・ホールデン

撮影:源賀津己

〈やさしい日本語〉ガイドブック「江戸・東京を知ろう」

公益財団法人東京都歴史文化財団では、在日外国人の方をはじめ日本語を学習中の方が気軽にミュージアムを訪れて楽しんでいただくために、〈やさしい日本語〉で展覧会を紹介するガイドブックを制作しました。江戸・東京の文化を知ることができる、東京都美術館「源氏物語と江戸文化」と江戸東京たてもの園「江戸東京博物館コレクション―東京の歩んだ道―」をあわせて紹介しています。会場でぜひお手にとってご覧ください。

財団ウェブサイト内の特設ページでは、ガイドブックをダウンロードできるほか、音声でも内容を聞くことができます。https://www.rekibun.or.jp/yasashii2022

担当学芸員による展覧会解説を動画で公開中! こちらもあわせてご覧ください!