事業ニュース

あらゆる世界を肯定する「新・晴れた日 篠山紀信」の写真たち〈東京都写真美術館〉

  • 2021.07.26

東京都写真美術館「新・晴れた日 篠山紀信」展覧会場入口  撮影:星野洋介

 

篠山紀信スペシャルインタビューに続き、こちらでは「新・晴れた日 篠山紀信」について取材リポートします。

 

1960年代にキャリアをスタートして以来およそ60年、1年たりとも写真から離れたりすることなく常に第一線で活躍してきた篠山紀信。とりわけ隆盛した雑誌文化との相性は抜群で、数多の雑誌で表紙や巻頭ページを篠山の写真が飾り続けてきました。

 

そんな篠山の濃密な60年を俯瞰する初の大回顧展「新・晴れた日 篠山紀信」は、東京都写真美術館の2フロアを用いた二部構成となりました。

 

 

第1部 1960年代から1970年代

 

展覧会は「写真」というメディアと向き合い続けてきた篠山の言葉から始まる  撮影:星野洋介

 

第1部では、1960年代から70年代にかけての作品が並びます。

 

日本大学芸術学部写真学科在学中に撮影の仕事や作品づくりを始め、広告制作会社のライトパブリシティに入社し写真家としてのキャリアをスタートさせた篠山は、あっと言う間に時代の寵児となります。

 

左:「天井桟敷一座」(1967)                 右:「誕生」(1968)

 

最初期の作品群には、「天井桟敷一座」「日米安保条約反対デモ」といった、ドキュメンタリー色の濃い作品がある一方、近い時期に撮られた「誕生」「アド/バルーン」など、画面構成の妙や技術的洗練の凄みが際立つ写真が並びます。

 

この振り幅の大きさは、その後のダイナミックな活動をすでに予感させるものと言えるでしょう。

 

「オレレ・オララ」(1971年) 同年12月、リオデジャネイロのサンバ・カーニバルを訪れて撮影されたシリーズ

 

「オレレ・オララ」や「パリ」など、世界各地に赴いた作品も異彩を放ちます。それぞれの土地に固有の空気をみごとに掬い取ってしまう、貪欲な吸収力に驚かされます。

 

「オレレ・オララ」で祭りに熱狂する人たちを眺めるうち、篠山の内側で「写真」に対する考え方が根本から変わったといいます。撮影者の意図を押し付けてはいけない、被写体をただ受け入れればいいという考えに思い至ったのでした。
その根本姿勢は現在まで貫かれ、「篠山写真の根幹」を成しています。

 

「晴れた日」より、シリーズ[北海道苫小牧勇払原野](1974) 北海道総合開発計画により買収が進み、人がいなくなった原野に点在する廃屋を撮影した。 撮影:星野洋介

 

そして第1部のハイライトたる「晴れた日」へ。

 

1975年に発行された写真集「晴れた日」は、ジャーナリズムを標榜する週刊雑誌『アサヒグラフ』で、1974年5月から半年にわたり連載された写真。篠山は、政治・経済・事件・スポーツ・エンターテインメント、気象まで、社会のあらゆるものに目配りをしながら、その週に起きた最も旬なことを写真で表現していきます。

 

オノ・ヨーコ、長嶋茂雄、輪島功一など時代のアイコンとなった人物も多数、被写体になりました。

 

ジョン・レノンとの結婚で話題を呼んだオノ・ヨーコが来日する直前、1974年にニューヨークで撮影した写真。 撮影:星野洋介

 

この時の写真を気に入ったヨーコのリクエストで、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ最後の共作アルバムとなった「Double Fantasy」(1980年)のジャケットを篠山が撮影することになります。

 

左は1974年の参議院選で話題となったタレント議員たち(青島幸男、横山ノック、糸山英太郎)。 右は長嶋茂雄。 撮影:星野洋介

 

この年、読売ジャイアンツは10連覇を逃し、「ミスタージャイアンツ」「燃える男」の名で親しまれた長嶋茂雄は引退。長嶋のうつむく姿を捉えた写真(右)を本人が気に入り、長い間、長嶋家に飾られていたという逸話も。

 

これらの旬をとらえ続けた作品群からは、この時代をゴロリと見せられたような衝撃があります。

 

 

日本各地を訪ねて人が住む息吹を写真におさめた『家』シリーズ(1972-75)

 

1972年から75年まで月刊誌『潮』で連載されていた「家」シリーズでは、農村地域の住居から筑豊炭鉱の廃墟、京都の茶屋まで、失われつつある日本の家屋を撮影。この作品で篠山は、1976年のヴェネツィア・ビエンナーレ日本館の代表作家に選ばれます。

 

 

人気スターたちの満面の笑顔が並ぶ雑誌『明星』表紙  撮影:星野洋介

 

さらに、篠山は1972年から81年まで9年にわたり、月刊雑誌『明星』の表紙写真を担当。
会場にはピンクレディーや沢田研二、山口百恵など、当時のスターたちのあふれんばかりの笑顔の写真が並びます。これらの写真が表紙となった雑誌が世の中に広く浸透したことで、「アイドル」というイメージ像を形作ったとも言えるでしょう。

 

かくも多彩な作品群、ここまででもひとりの写真家の仕事とはとうてい思えないのですが、展示はさらに2階会場へと続きます。

 

 

第2部 1980年代から2010年代まで

 

「TOKYO NUDE」(1986-92)シリーズ展示風景  撮影:星野洋介

 

第2部では1980年代から2010年代までの作品を取り上げます。

 

真っ先に目を惹くのは、東京の街の空撮や巨大プール施設を精緻な描写で捉えた「TOKYO NUDE」。3台のモータードライブ付35ミリカメラを連結した手持ちでシャッターを押すという独自手法“シノラマ”によって、東京の底知れぬ不思議さがあらわにされています。

 

1992年から現在も続いている『BRUTUS』誌の「人間関係」シリーズ  撮影:星野洋介

 

「BRUTUS」誌で1992年から連載が継続している「人間関係」は、1枚の写真に写し出された2人の関係性が浮かび上がるユニークな連載。会場には「岡本太郎・小林よしのり」「美輪明宏・九條今日子」「いかりや長介・坂本美雨」など計7枚が展示されています。

 

東日本大震災が発生した2011年、5月から秋まで4回にわたって被災地を訪れて撮影した「ATOKATA」。  撮影:星野洋介

 

東日本大震災の被災地を訪れて撮影した「ATOKATA」。
圧倒的な自然のエネルギーに対する恐怖や怒り、悲しみと同時に、その「静謐で尊く、荘厳な光景」に畏敬の念をも感じた、と篠山氏は語っています。

 

篠山紀信の旺盛な撮影行為がひとときも休まず時代を見つめていることを再確認させられます。

 

「TOKYO2020」は、羽田空港D滑走路の地下に広がる異空間、レインボーブリッジ塔柱の最上部からの眺めなど、ユニークな視点で東京の新しい景観を切り取った作品が並んでいる。  撮影:星野洋介

 

新宿に生まれ育ち、変わり続ける東京の姿を見続けてきた篠山。近年の東京の変化を捉えた「TOKYO2020」では、ダイナミックな画面がいくつも並びます。動き続けるのが常態な東京の姿は、撮影者・篠山紀信その人の写し鏡なのかもしれないと気づくのでした。

 

まさに観る者を圧倒する多種多様さです。ただ、すべての作品を貫く共通点も見出せるように思えます。それはどんなものか。篠山紀信の写真はいつだって、カラリとして世界を肯定する「晴れた日の写真」である。まちがいなくそう言えるでしょう。

 

 

 

展覧会をもっと深く楽しむ

 

■篠山紀信本人の解説つき「ハンドアウト」を無料配布

 

展覧会にご来場された方には、篠山氏自身が全ての作品解説を執筆した全24Pのハンドアウトを無料配布しています。作品一つ一つに込められた当時の思いやエピソード等、作家本人がつづる貴重な証言の数々。ぜひお手にとりながら鑑賞をお楽しみください。

 

 

 

 

■美術図書室で、実際に写真集や雑誌を見てみよう!

東京都写真美術館4階の美術図書室では、篠山紀信の関連図書をご覧いただけます。1975年出版の写真集『晴れた日』や、この写真集の元になった篠山の連載が掲載されている『アサヒグラフ』誌をはじめ、本展の関連図書が揃っています。ぜひ雑誌を実際に手にとって、時代の熱量をダイレクトに体感してみてください。

※現在、図書室は「予約制」となっています。ご利用方法の詳細は図書室ホームページにてご確認ください。

 

 

■ニコニコ美術館に生出演した映像が8月15日まで公開中

 

篠山紀信本人が、生出演し、2時間超にわたって作品解説を行った『ニコニコ美術館』(6/10日放送)のアーカイヴ映像がご視聴いただけます。本展の会期と番組配信は、ともに8/15(日)まで。どちらもお見逃しなく!
「ニコニコ美術館」 公式サイト

 

 

 

 

取材・文:山内宏泰

 

新・晴れた日 篠山紀信

【開催日】2021年5月18日(火)~8月15日(日)

【場所】東京都写真美術館