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民衆が生み出した数多の神様 「えどはくカルチャー 江戸の不安と信仰②「流行神」の地をめぐる」〈東京都江戸東京博物館〉

江戸東京博物館 大ホールで行われた「えどはくカルチャー」の様子(2020年9月9日)

 

 

流行病に悩まされていたという江戸時代の人々が生み出した文化に、今改めて注目が集まっています。
この夏、東京都江戸東京博物館の「えどはくカルチャーでは、沓沢博行(くつさわ・ひろゆき)学芸員による講座「江戸の不安と信仰」が、「①病を避ける図像」(2020年8月19日開催)、「②『流行神』の地をめぐる」(2020年9月9日開催)と2回シリーズで開催されました。

アマビエをはじめとする病除けの不思議ないきもの等を紹介した第1弾の取材リポートにつづき、今回は「流行神(はやりがみ)を紹介した第2弾の講座の模様をお伝えします。

 

 

大名屋敷に祀られた地方の神様

数年ごとに疫病が流行した江戸時代の人々は、神仏や影響力のある人間を祀り、病への不安解消や病気平癒を願ってきました。このように、民間において一時的に信仰を集め、そして急速に衰退していった神様を「流行神(はやりがみ)と呼びます。

 

江戸時代に生まれた代表的な流行神に、「太郎稲荷」があります。太郎稲荷は、浅草田圃にあった柳川藩立花家下屋敷の鎮守(ちんじゅ)として、国元から勧請(かんじょう)された神社です。1803(享和3)年、立花家の嫡子が重い麻疹(はしか)に罹りましたが、毎朝の太郎稲荷への参拝で全快したことが評判となり、多くの参詣者を集めました。

 

現在の太郎稲荷大明神(台東区入谷2丁目)

 

大名屋敷内にあった社には月12回程度の参詣許可日が設けられ、一般の人も参拝することができました。太郎稲荷の人気は、参詣を許す鑑札の偽物や無許可のお守りが出回るほどでしたが、それも2年ほどで衰退しました。太郎稲荷は、現在も台東区入谷に、民家に挟まれるかたちで残っています。

 

「江戸流行用捨競(えどりゅうこうようしゃくらべ)」

《江戸流行用捨競(えどりゅうこうようしゃくらべ)》(部分)江戸時代後期

右側に流行りのもの、左側に廃れたものが列挙され、中央左に廃れたものとして「浅草太郎稲荷」が挙げられています。

 

 

小林清親《浅草田甫太郎稲荷》明治10年代(1877〜1886年頃)

太郎稲荷は江戸期に3度流行しましたが、明治期以降は大きな人気は集まりませんでした。

 

 

中央区日本橋にある安産祈願で有名な「水天宮」も、もとは久留米藩江戸屋敷(現在の港区三田)に勧請された水難除けの神様です。曲亭(滝沢)馬琴は水天宮を篤く信仰し、1831(天保2)年、腹痛のために薬を服用したが効果がなく、水天宮の守札(まもりふだ)を飲んだところ痛みが退いたと日記に記しています。一方で、孫の大火傷には水天宮の守札も効かず、薬で治癒したという記述もあります。医師の息子を持ち、医学や薬学の知識もあった馬琴は、医学では解決できないことは、水天宮を頼りにしていたようです。

 

 

水天宮のお札 明治中期に発行された水天宮のお札

 

 

赤装束の行者が疫病除けのシンボルに

時には神様だけではなく、その信仰を広める行者(ぎょうじゃ)も流行神となりました。葛飾郡東葛西領金町村(現在の葛飾区金町)にある半田稲荷神社の「願人坊主(がんじんぼうず)」は、江戸の町に疱瘡や麻疹が流行りはじめると、赤い装束に赤い幟(のぼり)を身に付け、半田稲荷の功徳を喧伝しました。願人坊主の活動は天保の改革によって廃れますが、疱瘡(ほうそう)・麻疹を避ける神として麻疹絵に描かれています。

 

「近世流行商人狂哥絵図」

《近世流行商人狂哥絵図(きんせいりゅうこうあきんどきょうかえず)》1835(天保6)年 (国立国会図書館蔵)

願人坊主は疱瘡除け・魔除の色とされる赤色の装束で「かさいかなまち はんだのいなり ほうそもかるい はしかもかるい」と市中を練り歩きました。

 

江戸の嘉永期には大流行した3つの神がいます。
1849(嘉永2)年には、お寺に侵入した賊をすくませ、女郎の梅毒を治癒させた「奪衣婆(だつえば)」、大日如来の化身とされた下女の「お竹」、境内を汚した祟りの強力さで評判となった「翁稲荷(おきないなり)」の3神が話題となり、一緒に多く描かれました。左から、奪衣婆、お竹、翁稲荷。

 

歌川芳虎「流行御利生(りゅうこうごりしょう)けん」

歌川芳虎《流行御利生(りゅうこうごりしょう)けん》1849(嘉永2)年

 

 

噂が噂を呼ぶ流行神

お竹のように、実在の人物が流行神として信仰されることも多くありました。たとえば、1809(文化6)年、七代目市川團十郎の呪(まじな)いによって、楽屋番の瘧(マラリア)が平癒したことが話題になります。團十郎のはまり役でもある「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の助六の台詞に、「おれが名を聞いておけ、まず第一に瘧(おこり)が落ちる」があります。

 

 

歌川国貞(初代)「助六由縁江戸桜」

歌川国貞(初代)《助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)》1811(文化8)年頃~天保期

 

このほかに、吉原の遊女・二代目高尾太夫には、仙台藩主・伊達綱宗の意に従わなかったために、隅田川の船上で吊るし斬りにされて川へ捨てられたという俗説があります。宝永年間の元旦、北新堀川に漂着した首がその逸話と結びつき、高尾稲荷神社の御神体として祀られました。当時は水中から現れたものに対しての信仰があり、1865(慶応1)年に竹ノ塚で見つかった水死人に梅毒や熱病の治癒を祈願した例や、塔婆にも強運が得られる効果があるという噂が立った話も残っています。

 

 

 

市井の人々を支えた小さな信仰

「今回取り上げた『流行神』はメジャーな信仰ではないものの、江戸時代の人々にとって重要なものでした。しかし、明治以降には科学的根拠のない迷信と捉えられ、次第に衰退していきました。現在も痕跡が残っているものを中心に取り上げましたので、実際に流行神の地を巡ってもらえたら」と沓沢学芸員。

現代に受け継がれる江戸時代の信仰を辿りながら、当時の人々の病への向き合い方に思いを馳せてみてはいかがでしょう。

 

Text:浅野靖菜

 

えどはくカルチャー】 

江戸の不安と信仰① 病を避ける図像

【開催日】2020819 () 14:00-15:00

【場所】東京都江戸東京博物館 大ホール

 

江戸の不安と信仰②「流行神」の地をめぐる

【開催日】2020年9月9 () 14:00-15:00

【場所】東京都江戸東京博物館 大ホール

 

講座で紹介した流行神の地

・太郎稲荷(台東区入谷2-19-2

・半田稲荷神社(葛飾区東金町4-28-22

・於竹大日如来井戸跡(中央区日本橋本町3-6-2

・高尾稲荷神社(中央区日本橋箱崎町10-7

 

沓沢博行(くつさわ・ひろゆき)

東京都江戸東京博物館学芸員。日本民俗学および日本近代史を専攻。担当した展覧会に「江戸と北京-18世紀の都市と暮らし-(2017年)」「東京150年(2018年)」「江戸のスポーツと東京オリンピック(2019年)」など。